心身に溜まった世の中の嫌な毒をデトックスしましょう。


by jinsei-detox

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捲土重来を期す


  何十年ぶりに後楽園ホールを訪れた。嘉陽宗嗣の世界タイトル戦を観るためだった。前座の4回戦ボーイの試合から観ていた。4回戦、6回戦、8回戦、10回戦、そしてメインイベントの13回戦へと進む訳だが、当然のことだけど、自分のカラダを自由に使えるかどうかというのがランクの差ではっきりわかるものだと感心した。
4回戦ボーイはボクシングを身につけてまだ2年ほどだろう。自分の身体をもてあましている。キャリアというのは恐ろしいくらいに現れるものだ。自分の体験でいえば剣道を習い始めて、半年くらいは竹刀と防具がカラダになじまずに操られていたが、6年目くらいになると自然と剣道のカラダになってくる。後は個人の才能である。
 この日、驚いたのは8回戦の選手でまだ3戦目にして3勝ともKO勝ちした男がいた。この男はわずか18歳。カモシカのような下半身と豹のような俊敏さをゴングが鳴った瞬間の動きで見せたとき、これはと思った。対戦相手は8戦5敗3引き分けの33歳の中年だ。
彼が花道に姿を現したときは男の子を連れていた。たぶん、その子に自分の勝った姿を見せたかったのだろ。だが勝負はあっけなかった。1ラウンド半ばのカウンター気味のパンチだった。33歳の男は腰から砕けてマットに沈んだ。子どもの観ている前での完全な敗北の姿だった。映画のようには人生うまくいかないものだ。
  さていよいよ、嘉陽宗嗣のタイトルマッチなのだが、相手のタイのワンディは前日の重量検査で体重オーバーで失格になっている。だからこの試合は消化試合のようなもので、本来なら行う必要のないものだが、興行的な面で実施されたわけだ。
ワンディのカラダは嘉陽より一ランク上の体重であり、カラダの大きさが明らかに違っていた。ちょっとハンディがありすぎる。案の定、7回に出がしらフックを食らいダウン。そのままこの回で勝負がついてしまうと誰しもが思ったはずだ。翌日の新聞を読むと具志堅もタオルを投げようと思ったという。ところが嘉陽は残り2分を必死で防御し、次のラウンドは逆に攻撃に転じた。しかし、観ていても痛々しいくらいに7回のダメージが残っているのは明らかだったが、彼はまさに言葉通り、死力を尽くして戦った。その姿に感動しないものはいなかったはずだ。
   翌日の新聞にはセコンド側のコメントに「オーバーワークだった」「体重差を考えて試合を中止すべきだったか」などいろいろあげていたが、要はチャンピオンの49勝の老練さに負けたのだった。
  試合のあと、ぶっ倒れていた嘉陽君は起きあげると四方の応援してくれた客に頭を土下座をするように深々と下げていた。
ファイティング原田が彼の試合ぶりを観て、「彼は男だ」と評していたが、僕も胸が熱くなるまでにすばらしい男だと思った。勝負は時の運、まだ世界タイトルへのチャンスは残っている。必ず笑顔でベルトを身につける日が来るはずだ。捲土重来を期して次の試合に望める日を僕は待っている。
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by jinsei-detox | 2006-10-15 15:16

秋空の運動会

 先日の土曜、運動会をやっている小学校を見かけた。秋の大運動会と幕が貼ってあった。
もっとも最近では5月6月に運動会をやる学校の方が多いみたいだけど僕らの子どもの頃も秋だった。
  運動会が秋に行われたのは、稲刈りなど、農繁期の忙しい時期を過ぎてからという意味があったらしい。運動会は娯楽のひとときでもあったようだ。茣蓙を敷いてお昼のお弁当をみんなで食べるハレの日だった。もっとも僕の小学校ではお昼のお弁当は教室で給食をたべた。お弁当の貧富の差、あるいは運動会を見に来られない家があるからという理由のようだった。日教組が考える平等という観念の具象化の一つだったに違いない。これがエスカレートして、徒競走の順位をつけないで、みんなで手をつないでゴールに入るようにするとか、徒競走をなくそうとか偽善めいた思考が本気で考えられたようだ。
 幸いにして僕の足はそう遅くもなく、僕の子どもたちもスピードランナーだったから運動会は由鬱だったなんていう感想も徒競走をなくそうとかいう発想をいだく根拠をもってなかった。つまり弱者の立場なんて知らないよってかんじかな。
  足が速いやつ、勉強が出来るやつ、絵がうまいやつ、工作が出来るやつ、体操ができるやつ、歌がうまいやつ、が現実にそれぞれが存在している。それはしようがないものだと思ったし、運動会で一等になりたかったら練習をしたらいいと思っていた。現に僕なんかは中学のクラスマッチの800メートルに出ることになって、なんとか陸上部の男に勝ちたいと思い、クラブ活動から帰宅してから、走る練習をしたものだ。でも本番はやはり、その男には勝てなくて、そういうものなんだと認識したことがある。
  運動会は人間の運動能力を総合的に認識するにはとてもいい機会なのだ。あのドキドキする心臓のたかまりも楽しいし、1等賞にはノートがもらえたし、翌日は休みだし、実に楽しい日だった。
  なんでも運動会は明治7年、初代文部大臣の森有礼が体育の集団訓練を導入するためにはじめたことから始まったという。もちろん英国の教師のアドバイスに基づくのだろうけど。そしてそれは近代国家の富国政策の一端でもあったのだろうが、人間の集団の力を発揮する統制の訓練には運動会はもってこいのイベントでもある。だから反日教育のひとたちは気に入らないのだろう。国旗も秋風にはためいているし…
  大玉転がしが始まっている。赤勝て、白勝ての黄色い声援が楽しそうだ。あんな姿を見ていると子どもはいつも子どもだなって思うけど、なかにはイジメで苦しんでいる子もいるのかもしれない。そんな子が一人もいない学校であればいいのにと思うのだが…
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by jinsei-detox | 2006-10-09 12:05