心身に溜まった世の中の嫌な毒をデトックスしましょう。


by jinsei-detox

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ある中年女性の怒り

ある中年女性の話。人から借りたオフコースのCDを聴いていたら、その日はどういう訳か、歌詞が耳に入ってきたという。で、聴いている内に無性に腹が立ってきたらしい。この曲が流行った頃は別に、なんとなく聴いていたので格別どうということもなかったが、この日は小田和正の顔を引っぱたきたくなったという。

もう終わりだね 君が小さく見える
僕は思わず君を 抱きしめたくなる
「私は泣かないから このままひとりにして」
君のほほを涙が 流れては落ちる
「僕らは自由だね」いつかそう話したね
まるで今日のことなんか 思いもしないで
さよなら さよなら さよなら もうすぐ外は白い冬
愛したのは 確かに 君だけ そのままの君だけ
愛は哀しいね 僕のかわりに君が
今日は誰かの胸に 眠るかもしれない

家に帰ってこの曲をネットで調べてみたが、確かになんともいえず奇妙な歌だ。
僕と話したその中年女性は「女を捨てて、愛だの、哀しいなどと」どの面さげて歌っているのか、向かっ腹が立つといっていた。その時、僕はきっと歌詞の解釈を誤解しているのではないかと言ってきたのだったが、確かに読んでみると、彼女の言うとおり、この男はなにを言いたいのかよくわからないところがある。好きだった女が他の男と出来てしまって未練たらしく別れようとしているのか。男の都合で彼女と別れるんだけど、女のことはいい思い出だったと言おうとしているのか…
この曲が流行った頃は、そういった論争というようなことはなかったのかしら?
僕はこのバンドのことはほとんど知らなかったし、ちらりと聞いた気もするけど、興味がなかった。でもこの小田和正、僕と同じ団塊の世代で、今年還暦を迎えるらしい。
それにしても読めば読むほどわからない歌だ。だれか歌の真意をおしえてくれないかな…
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by jinsei-detox | 2007-03-31 22:21

朝の小さなホームにて

  さいたまの私鉄の小さな駅のプラットホームでのこと。その日はいつもより早めに駅に着いた。「みなさま降りる方がお済みになりましたら、ご順に中の方にお進みくださあーい」
黄色い帽子を被り、草色のジャンパーを着た中年近い男の人がにこにこした顔で朝のプラットホームで声をかけている。茶色の制服を着てないので駅の職員ではない。男の表情から察するに、若干の知恵遅れとも読み取れる。知的障害を感じ取れるが軽度なのかもしれない。「後方確認。前方確認」そう声を掛けながらホームに立ち、後方前方に各々に、手を掲げ無事を確認してから「シュッパーツ、ヨウシ」と号令を掛ける。そしてドアが閉まると深々と頭を下げ、発車していく電車を見送るのである。男はこの仕事が好きで好きでたまらないという喜びを体からあふれさせている。
 駅の職員たちには変わった様子はない。ホームにいたお客さんたちも取り立てて不審な様子を見せる人たちもいない。強いていえば男をはじめて見る人には異質な時間をもつ人間が放つ独特な雰囲気に警戒の意識を立ちのぼらせるかもしれない。だが、女学生などがクスクス笑うほどのなごやかな風景でもあり、人々の不安をかき立てるほどのものではないので、楽しい光景になっているのかも知れない。
  昔、子どもの頃,毎日どこかからやってきては操作場の鉄橋の上で、入れ替えする機関車を眺めながら、国鉄マンのごとく「クダリヨーシ。ノボリヨーシ」と声を張り上げていた男がいたが、子どもながら彼は機関車が好きなんだなあとほのぼのと感じたものだった。
  男の子は小さな時誰しも機関車や電車が好きなものだ。機関車トーマスに釘付けになっていた息子のことを思い出しては男をやさしく思うのであった。
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by jinsei-detox | 2007-03-24 18:49

我がインディー君に

  犬のつづき。インディー君だが、彼は去勢手術をしている。下の息子もそのとき近くの動物病院に付き合い、しきりになんの手術なのか不思議そうに僕に聞くのだった。4年生だったかな?で、僕は頭が良くなる手術なんだよととぼけていたが、こういう時、ちゃんと性教育を施しておくべきなのだろうかと思ったりしたが、なんとなく誤魔化しておいた方がいいやということにしたのだった。
  なぜ去勢手術をしたかといえば、まだ6ヶ月くらいの子犬だったのだが、下の子の足に前足を絡ませ、なんと腰振り運動をしていたのを見たからだった。息子はこいつなにしてるの?って驚いていたようだったが、なんともやなものを目にしてしまったように感じたのだった。
  生殖の本能といえば動物として当たり前の姿なのだろうが、ガキのくせしてふてえ野郎だと思ったからなのだろう。でも、去勢をしても性欲がなくなるわけではないということをはじめて知った。よく荒々しい牡馬を去勢することでおとなしい馬にする話を聞いていたので、性欲がなくなるのかと思ったが、違ったことがわかった。インディー君はいまでもときどき腰を振っているからである。先日僕の足にそんな振る舞いをしたから殴ってやったらキャンといって上目遣いで僕を恨めしそうに見た。
  ごめんな。インディーこんな家で飼われて君は不幸だね。君は父親にもなれなかった。もう子どももなかなか遊んでやらないようだし、淋しいね。でも、君は捨て犬だったんだから、それでもまあまあの人生いや犬生としなければね。
  昔、デーシカー監督の「ウンベルトD」というイタリア映画を見たことがあるが、老人と老犬の静かな物語だった。あんなふうに老人にならなければ犬のありがたさがわからないのかも知れない。まあインディーなどという冒険家の名前を付けた子どもたちと僕のいまだ落ち着き得ない人生途上の身であってみれば、インディー君にはじっと我慢してもらうしかなさそうだ。
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by jinsei-detox | 2007-03-20 17:21

犬のしつけ

 よくある話だが 、犬の面倒は自分たちが絶対するからという約束で飼ったのだが、結局は親が世話をするようになるのはどこも同じようだ。
  この犬、名前をインディーと言うが、子どもの頃から割とおとなしい。子どもが拾ってきたときが、11月頃だったので、寒いだろうと言うことで、飼う場所を玄関の三和土にしたことが、しつけに於いてうまくいかない元凶だっとのではと思っている。というのは、今では外で飼っているが、いつまでたっても排便のしつけがうまくいかない。たぶん玄関の外は家の庭であろうが、家の外の野原とかと区別がついていないようなのである。確かに犬にとってみれば自分の家の庭と、家の外との違いをどう判断するかと言えば難しいのかもしれない。いつまでたっても、庭で排便してしまうのである。
  もちろんそれを見つけると、僕は体罰を与えるのだが、どうもわかっていない。食事と散歩の時間をいろいろ調整しながら様子を見るのだが、どうも規則性がないのである。こいつは馬鹿なのではないかと憤懣やるせなく怒ってみても、当のお犬さんは尾っぽを振るか、身を縮めて打つのは止めてくれエーとキャンキャン吠えるのである。まるで子どもを虐待している鬼に見まがうような飼い主の姿である。(犬の記憶ではは3秒前のことを叱られてもわからないという)
  自分が子どもの頃に飼っていた犬はちゃんと自分の家の外で排便をしていたから、ほんとうにこの犬は馬鹿かもしれないと思ったりするが、犬は飼い主に似るということわざもあるので、今では諦めの心境で、庭の糞の始末をするのである。
  だからというのではないが、この犬の散歩は手抜きである。まあ日曜日ぐらいは子どもと一緒に遠くまで行くこともあるがいつも手近に済ませている。それでも他所の犬と出くわすのだが、みんな愛犬家は立派に犬を育てているということを身が引けるぐらいに感じるのだ。雨の日はみんなレインコートを着ているし、寒ければチャンチャンコか半オーバーみたいなものもひっかけている。正直言ってどうして犬をそんなに甘やかすのか僕には合点がいかないのだが、それは犬に対する愛情が足りないからなのよと逆に言われそうだから口をつぐんでおく。
  だいたいですね、我がインディ君は、犬小屋に入ることを嫌って、どんなに寒くても小屋の外に毛布を引っ張り出して寝ているのですから、きれいな身になることはないのです。おしゃれなど無縁の野生児なのです。オオカミの誇りを今時忘れていないとても、りっぱな犬なのです。
  あまりこの犬の野生ぶりを話すと動物愛護協会からなにか言われそうだから今日はこのあたりで…


   
 
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by jinsei-detox | 2007-03-19 07:43

今年も辛夷の花が咲く

  辛夷の花がもう咲いている。例年より2、3週間は早いだろう。
  木蓮よりやや小振りだがあの白い花が咲くとああ、春が来たとこころが浮き立つのだったが、今年はなぜか素直に喜べないものがある。暖冬で、花も咲くのが早いねと済ませておけない、気候の様相を感じるからだ。地球温暖化の危機が叫ばれて久しいが、いよいよ、その気配が濃厚になってきたようにも思える。
  現在評判になっているアール・ゴアの「不都合な真実」を観て、僕たちはなにをどうしたらいいというのかという思いに差し迫られる。映画の中でも私たちが温暖化にストップをかけるために、身近に出来ることをいくつか提唱しているが何とも心許ない限りの提案である。温暖化阻止は政治的行動ではなく、倫理だとゴアは言っているが、京都議定書にも同意していない米国政府に抗議する政治的行動をとるべきなのが、あの映画を製作した男の倫理なのではないだろうか。
  世界は地球温暖化阻止よりも経済を優先しているのだ。あるいは軍事的覇権を争っている国々にとっては温暖化など後回しといった認識に違いない。このままの状況であと2、30年たったら地球の温度は3度上がり、南極の氷が溶け、海の水位は6メートル上がるという。そればかりでなく海洋大循環がとまると地球の温度が上昇し続けることになる。もはや経済も軍事的覇権も意味をなさなくなる現実に慌てふためくことになることは誰が考えても明らかなのに、その認識は無視され続けている。地球に生きることは運命共同体だということを知っていて知らない振りをする時期ではないはずなのに。
 日本の国会だって、「女性は子どもを産む機械」という大臣の発言にああでもないこうでもないと拘って、あたかも正義の御旗を揚げたかのように振る舞っているお目出たさにウンザリする。
  僕らは30年もしたらほとんど地球から姿を消しているからいいけれど、子どもたちに絶望の淵に追い込ませるようなことをしてはならない。(国の借金だって作りに作って、子どもたちにその付けを回そうというのだから、本当にこの国の政治家たち、役人たちの無責任さはあきれるばかりである。)
  阿部総理だって「美しい日本」という前に、「子どもたちが生きられる日本」と言うべきであろう
。日本は温暖化阻止に国を挙げてこういうことをすると、全世界にメッセージを送ればいい。車はハイブリッドカーしか乗らないことにしようと宣言したらいい。ハイブイrッドカーの税金を安くしたらいいのだ。そういうことは政治で出来ないはずはない。それは挙党一致でやれるテーゼなはず。なぜやらないのだろう?そんなことでは票がとれないからなのだろうか…
  でもいまやらないとたいへんなことになるのは目に見えているのに…こんなことを思っているのは僕だけでないはずなのに…
 辛夷の花が咲く終わると、桜の花が咲く。将来の子どものことなど考えたりせずに、酒を酌み交わし、目の前の桜に酔うべきか…
 
 
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by jinsei-detox | 2007-03-11 12:55