心身に溜まった世の中の嫌な毒をデトックスしましょう。


by jinsei-detox

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女の子とぶつかっても

  最近、通勤の行き帰りの途中、駅の構内やホーム上で、若い女の子と肩がぶつかることが多くなった。もちろん当たり前のことだが僕が意識的にぶつかっているのではない。なぜこうも頻繁にぶつかるのだろうか。たぶん多くの場合、女の子が避けなくなったのだと思う。それはいいのだが、ぶつかっても謝らない。人の顔を睨み付ける子さえいる。女性として男性とぶつかって怖いという感覚がないらしい。
  少なくとも僕らが20才前後の頃の東京であったら、進路を譲り合うか、ぶつかってしまったら、女性の方が先にごめんなさいと小声で謝っただろう。もちろん男性もすみませんと素直に謝ったはずだ。
  ぶつかっても謝らない女性は別にアバズレ風な女性ではなくごく普通の女の子である。どうしてこんな風になってきたのだろう。ほんとうにわからない。
  よく聞く話だが、クルマの事故などで、先に謝ると後の補償問題などで不利になることがあるので、事故など起こしても絶対自分の方から謝ってはいけないなどとまことしやかな話が通っていることが、無意識にもそんな態度にさせるのかもしれない。
  電車の中では腰のまがったお年寄りが入ってきても、ほとんどの人が知らん顔をしている。通勤時にようやく座れた席をたとえ老人でも譲りたくないということなんだろう。僕などもまだ若い感じがする老人にはほっとくこともあるが、あきらかに年寄りには譲ろうと思っている。(このタイミングはむずかしい)
 小津安二郎の映画「東京物語」に登場する原節子の立ち振る舞い、他人に対する気の使い方が描かれているが、登場する人々の姿はほんとうに奥ゆかしいの一語に尽きる。
 最近の電車広告などに「江戸のマナー」というようなコピーに江戸時代や昭和の初期あたりの電車でのマナーなどが北斎の版画風に描かれているものがあったが、譲り合う日本人の美しさが表現されていた。たしかに少し前の日本人には我と我が衝突しないようにする知恵があった。もう日本人があんなふうな文化をもつということは二度とないのだろうか。
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by jinsei-detox | 2007-05-20 23:27

もんだいの高野連のこと

 いまコミック雑誌「モーニング」紙上で連載中の田中誠の「実録関東昭和軍」という高校野球マンガをご存じだろうか。金と欲が渦巻く世の中にあって、高校野球の世界もまたその例に漏れず、覇権を争うことの内実つまり学校、監督、そして子どもの野心と欲望がみごとにパロディックに描かれている。学校は世間の名誉と企業としての利潤のために、監督は社会的地位を、生徒は見果てぬ将来の欲望のために戦うのである。ここには友情や愛や正義は出てこない。たとえチームの団結めいたものがあったとしても、それは自分らが頂点に立つための自己の利益追求の結果であり、子どもたちを地獄のノックで鍛える監督も貧乏たらしい野球乞食から脱出したいがためである。そして子どもたちはリッチな将来を目指して地獄の特訓を受けるのだ。
  「ただ勝ちたい!人生に待ち受ける苦痛や恐怖から逃れるために!」というキャッチコピーがこのマンガのコンセプトをずばり表している。
  たとえオオバーな表現でも、高校野球を取り巻く現実、さらに日本の社会を生きてる僕らであってみれば、その描き方のリアリズムに思わずニヤニヤと笑いを誘われざるを得ないのである。これらのストレートな表現は小気味が良く、爽やかでさえある。
 さて僕がなぜこのマンガのことを持ち出したかというと、まるでこのマンガに符丁を合わせるかのように今回の高野連の動きがあったからだ。
 そもそもの事の発端は西武ライオンズが大学球児、高校球児への金銭提供をしていたと発表し、選手の出身校である専大北上高校が特待生制度を設けていたことがわかったことからだった。高野連は全国の4700校を対象に調査を行い、その結果376校、約8000人が特待生制度を実施していたことがわかった。高野連はこれらの高校に特待生制度を止めることを命じたのだったが、現場の混乱は多く、高野連への批判もマスコミなどが開始した。すると笑ってしまうのだが、はじめ、違反があった学校に野球部長の辞任、特待生部員は5月末まで対外試合出場の禁止、特待生制度をやめるように要求したのだったが、それぞれの学校の判断で「奨学金」なら払っても良いと撤回した。 
  笑わせてくれるよなあ、まったく。このニュースを聞いたとき、「今さら、なにをふざけたこと言ってるんだろ」と思ったわけ。だって誰だって甲子園の出場常連校は野球のうまい子どもを捕まえて、俺の学校でやればいろいろ面倒見てあげるぞという誘いがあるくらい知っているわけですから。それを西武ライオンズのもんだいが起こると、火の粉が自分のところに降りかからないうちに処理してしまおうという魂胆がみえみえで、脇村会長は「数の多さに驚いている。学生憲章が十分理解されておらず、我々の指導力不足を反省している」とのたまうのだった。
  だいたい高野連なんていう組織は民間の財団法人であるはずなのに、なんの権限でああだこうだと命令するのだろうか。そもそも高野連という組織はどういうものなのか。高野連の理事は朝日新聞のスポーツ部長だったり、最高顧問は朝日新聞の歴代社長が名を連ねているみたいだから、その関係は誰しもが想像できるのではないだろうか。これは僕が調べたわけではなく、新聞社系ではない週刊誌がいろいろと書いている。
  朝日新聞の偽善ぶりが鼻についてしかたない。昨年の早実と駒大苫小牧の人の胸を打つ戦いぶりは高野連とは無関係のところで成り立ったのだ。斎藤君だってスポーツ選抜で入学した訳だし、田中君だって特待生だ。それがおかしいのか!平和憲法があるから国の平和があるというような論旨をもつ朝日が学生憲章を護憲のように展開するからおかしくなるのだ。
  野球をひたすらやって金を儲けたいと思う少年がいたっていいじゃないか。その少年を育てようとする監督と学校が社会的に認められるのは当然のことだろう。高校野球に清純無垢を求めるのは、恥ずかしいことであるはずだ。
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by jinsei-detox | 2007-05-12 20:52
  数日前駅の定期券売り場で、定期入れをなくしてしまった。その中には保険証も入れてあったので、いろんなリスクが考えられる。JRの忘れ物取扱所に連絡すると、該当するものはないという。この時代、保険証などを身分証明にして金を借りたり、レンタルすることはいくらでも出来る、銀行カードならすぐにストップをかけて止めてもらうことも出来るが、保険証などは警察に届けるくらいしかやりようがない。だからといって犯罪の予防になるわけではない。まんがいち犯罪に利用されたときなどに若干の証明になるくらいのものだろう。まあ仕方がない、自分の落ち度なんだから、時代を恨んでも…
  それでも翌日、当の駅の忘れ物扱い所に直接行って、問い合わせたところなんとあったのです。駅員がもってきてくれたぼろい黒の定期券入れ!これです。これです。迷子になったわが子に会えたような喜びを覚えました。その喜びの中には、人の善意にたいする感謝も混じっていました。
  僕は思ったものです。まだ日本も捨てたものじゃないと。誰かが落とし物として届けてくれたのだ。
  日本は米国に戦争で負け、また金融戦争にもまけ、グローバリズムの名のもとに、弱肉強食化していく資本主義?をあたかも市場の論理として受け入れました。社会のいろいろな面で階層化が進み、日本人は得体の知れないおびえと社会に対する不信の念で心身ともに荒れすさんできています。そんなとき小さなかけがえのない日本人のまだ残っている親切心にに出会ったのです。
僕は本当に嬉しくなりました。届けてくれた人の善意にありがとうを何度も何度もお伝えしたい気持ちです。日本人の落とし物を見つけたような喜びといえば大げさでしょうか。
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by jinsei-detox | 2007-05-09 10:58