心身に溜まった世の中の嫌な毒をデトックスしましょう。


by jinsei-detox

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下駄のはなし

  夏だから花火大会とかお祭りとかにでかけるのだろう、女の子が浴衣姿で駅や街で歩いているのを見かけることが多くなりました。女の子の浴衣姿は風情があってはいいもんだねえと言いたいところなんだけど、浴衣の着方がいま一つ決まってないのが残念だね。まるで外人さんが着物を着ているみたいなんだもの。
 とはいえファッショブルな帯を締めて、巾着をもって、可愛い下駄を履いて男の子と歩いている姿なんて微笑ましいものだ。でも、下駄を履き慣れていないせいなのだろ、階段を下りるときのあの煩い音をたてるのはどうにかならないものか。浴衣姿の下駄の女の子だけじゃなく、サンダルでも耳を押さえたくなるようなキンキンとした音をたてて階段を下りてく若い女性が最近やたらと多いのには本当に腹立たしいものだ。日本の女性の奥ゆかしさという言葉が死滅したのも下駄を履かないことに起因してるのかもしれない。
 斎藤孝氏がなにかで言ってたけど、下駄を履くのはとても体に良いことらしい。とくに子どもの頃に下駄を履くと足が丈夫になり下半身の安定につながるというのだ。
 思い出してみれば僕らの子どもの頃はみんな下駄履きだった。小学生から高校まで下駄で通学したものだ。さすがに手ぬぐいをベルトから提げたバンカラスタイルの人はいなかったけど(一人記憶に残っている人がいる)学生服と白戦の入った学帽を被っていたなんて、いま思えばなんという牧歌的姿だったんだろ。(僕なんか足駄を履いていたこともあったけ。えっ?足駄がわからない?足駄というのは下駄の歯が高いやつだよ。ほら牛若丸とか天狗が履いている奴だよ)
 なんだか女の子の浴衣姿の下駄の話から子どもの頃の下駄の話になってしまったけど、下駄はほんとうに体にいいんだよ。小学生の頃はみんな下駄で通学したらいいのに。僕も息子にはたまにだけど、下駄を履かせたものです。でもそういう自分としては、ずいぶん下駄は履いてないなあ。浴衣も着ていないです。心の余裕がないのでしょうねえ。
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by jinsei-detox | 2007-08-19 17:52
 太田省吾さんが亡くなって、1ヶ月近くなる。彼が棺で眠っている顔を見て、彼は死んだとただ漠然と思った。斎場で焼き上がった彼の骨を見て、昔一緒に作った「ガラスのサーカス」という芝居を思い出した。その芝居は老婆が焼き場の炎の中で焼かれ、するめのように踊りながら一生を思い出すという作品だった。彼も炎の中で踊りながらなにを思ったのだろう…そんな風に思った。
 新聞記事などで彼の死が報じられ、彼の業績も紹介されているが、あの芝居の作られた時代の背景は僕らや観客たちにしかわからないものがある。
 1970年代、赤坂のモルタル造りの小さな倉庫が転形劇場の稽古場兼劇場だった。僕が入団したのはちょうど「花物語」という芝居の稽古の最中だった。品川徹、瀬川哲也、佐藤和代、増田再起などの役者が15坪程度の稽古場で怒鳴るようなセリフを吐いていた。(今売れっ子の大杉漣はもう少し後から入団してきた)
 当時は唐十郎率いる赤テント、佐藤信たちの黒テント、寺山修司の天井桟敷、あと鈴木忠の稲田小劇場などがアングラとか小劇場とか呼ばれて、まさに芝居がおもしろくてたまらない時代だった。僕が太田省吾の転形劇場を選んだのは、彼が読書新聞に書いた奇妙な演劇論を読んだことがきっかけだった。その論旨はあまり覚えてないが演劇そのものにはあまり触れたものではなく、悲しみを迎えた人間の日常を演劇的視点で論じていたようなものだった。ちょっと文学的な匂いもしたけど、エルンスト・ブロッホのような存在論的エッセーに近かった。
 僕は心情的に唐十郎の芝居にも憧れていたけど、彼のモチーフとしていた「河原乞食」になることが出来るようにも思えなかったからだ。もともと役者になりたいという考えはなかったので、引き算をしていったら太田省吾になったのだ。
 入団してからのことを書くと膨大なレポートになるだろうから、いつの日かにそれは譲るとして、僕は極端な貧乏生活に突入していったわけだ。もともと映画を目指していたので、映画の世界はまあまあのギャラが出るからなんとかしのげるのだったが、演劇は持ち出すことがあってもギャラなどをもらえるとも思っていない組織だったのだ。役者連中は早朝の河岸に出るか、大道具のスタッフとしてナグリを打つしかなったのだ。
 僕のアルバイトといえば、焼鳥屋のウエイター、ラジオの原稿書き、たこ焼き屋、電話売り、路上を水平度を測る計測、ピンク映画の助監督、精神病院の看護助手、雑誌のライター、映画のシナリオライターなどなどである。こう書き連ねると結構仕事になっていたように見えるけど、単発ものが多かったので、お金が続かなかったのだ。いま思いだしても冷や汗ものだった。お酒もよく飲んだけど、空回りしていていい酒ではなかった。
 このあたりのことは、ここではよそう。とにかく僕が芝居から足を洗ったのは大きくいえば、飯が食えないことに対する不安、そして太田省吾の芝居が僕の思い描く演劇とかけ離れてきたことからだった。省吾さんの芝居は存在論的なアーツに近づいていったのだ。
 それはももともと僕が読書新聞で読んだときの予兆したものをさらにアーツとして造形していったのだった。例えば「水の駅」のようにセリフがまったくなく、ただ水道の蛇口からちょぼちょぼ流れる水とエリック・サティの音楽で構成されているような芝居である。    
 登場する役者は演じる役者というより演じない役者が理想とされる芝居なのである。その芝居の構造を論理的に詰めていけば役者は匿名性を強いられ、役者のキャラクターは消されていくことだった。
 それでもこれは大きな演劇だったことは間違いないのである。それどころかかつて誰も試みなかった強烈な演劇にちがいなかった。
 その演劇は知的な観客にならざるを得ないものだった。現に知的な人たちが転形劇場そしてT2スタジオ(氷川台の倉庫に劇場を移したときに名前を変えた)には多かったようだ。だが、確実に劇団は経済的に破綻をきたし解散をせざるを得なかったのだった。
 太田省吾は大学の教授に迎えられ、役者たちはそのまま小劇場の演劇を年に1回か2回自分たちで公演したりしていたようだった。大杉漣のようにこまめに映画に出演し、成功した人は希だ。
 僕は劇団を辞めてからほとんど劇場に行くことはなかった。激しい悔しさが込み上げてくるからだった。ほんとうに最近だ。芝居を平気な気持ちで観ることができるようになったのは。
それにしても演劇を死ぬまでやり通すことが出来るなどということは、根性のいることでもあり、僥倖そのものといっていいかもしれない。太田省吾はまだいい。作品が残り名前も残ったから。マスコミに出た奴もまだいい。名前と金をてにしたから。いや、いいとか悪いとかいうことではなく、テレビや映画に出ずにそのまま無名のままで舞台に残っている役者たちは劇のなにを手にしたのだろうか…
 僕は出版社などを起こし、なんとか自分の表現の道を模索し、かつ経済的にも自活できるようになったが、あの頃の表現したかったなにかは自分の何処かにまだくすぶっているような気がしてならない…どうやら太田省吾のようには死に切るには、まだまだ前途多難である。
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by jinsei-detox | 2007-08-12 15:45
 先日、タクシーに乗っていると、右車線に信号待ちしていたクルマが突然、車線を変えて、タクシーの前に飛び出してきたのだ。もちろん走っていたタクシーは急ブレーキを踏んであわや衝突を免れたのだった。僕などは前につんのめってしまうほどだった。
「ひどいなあ、あのクルマは!」僕がそういうと、「多いんですよね。ああいう運転が…」そういいながらも運転手はわりと冷静だった
「結構、トラブルにあることもあるの?」
「この商売をやってると、やでもありますよね。うちの会社は安全運転ではなく
防衛運転を心がけろといってるんです」
「防衛運転?」
 運転手にいわせると「安全運転」は当たり前で、これは交通ルールを守ることを主眼にしているのだが、「防衛運転」というのは、あらかじめここではこういう事故が発生するかも知れないと想定して、運転することだという。
「そうか国の安全保障と同じだな」僕が独りごちる。原爆を搭載したミサイルが飛んできたときどうするか。原子炉を攻撃されたらどう対処するのか、日本は本当に研究をしているのだろうか。防衛省とて予算もつかない防衛研究はやりたくてもやれないのが本音だろう。
 広島や長崎の8月の慰霊祭は原爆の恐ろしさを伝える行事にはなっているのだろうが、その恐ろしさをこれからどうしたら防ぐことができるのかといった論議はまだまだタブーのうちに圧殺されている。
 北朝鮮の脅威をなぜ知らぬが仏とばかりにいまだ見て見ぬふりをするのだろう?これから62年目の敗戦記念日がやってくる。滅び行く新聞メディアが最後のお仕事として本格的に取り組んでくれたらいいのだが…なわけないか。
 敗戦記念日が近づいたせいもあり、安全保障の話にあいなりました。
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by jinsei-detox | 2007-08-10 21:14
 睡眠のこと。
 僕は最近、早朝トイレに行きたくなって、目が覚めるのが5時から6時くらい。もう少し眠りたいなと思っても、なかなかすぐには眠れないので、そのまま起きてしまうことが多い。まあ、歳を取ると、朝は早起きになるというから、仕方ないかと諦めていた。子どもがほっとけばいつまでも眠ているというのは、エネルギーがあるからなのだ。子どもの頃のようにお昼くらいまでもう一度眠っていたいなあなどと思うことしばしばだった。
 ところが先日、認識を新たにすることがあった。
 関係する会社主催のゴルフコンペが2日間に亘ってあったのだが、その時、同室になった75才の老人が1日目の夜ホテルに帰ってくると、夕方の6時半にはベッドに入り、なんと翌朝の5時半まで、1回トイレにいったきりで、ずっと眠っていたのだ。なんと12時間眠っていたことになる。
 僕は前日、夜中の2時に就眠し、5時半に目が覚め、その日は眠かったが、その老人と一緒に就眠するときっと夜中に目が覚めて困ることになるだろうと思い、(ひとりだったら本を読んだり、音楽を聴いたり出来るが)12時頃までサイドテーブルの灯りをたよりに本を読んでいたが、老人の歯ぎしり攻撃になかなか眠れず、気がついたときには老人が窓のカーテンをざあっと開ける音で目が覚めてしまったのだった。時刻は5時半だった。(僕は6時10分にモーニングコールをかけていたのだった)
 僕がその老人に「よく眠れますねえ」と羨ましい気持ちを込めて言うと、彼は私がこの年で頑張れているのはよく寝るからだというの。僕が歳を取るとみんな睡眠時間が短くなるんじゃないですかというと、それは脳がトラブルを起こしていることと体が冷えているからだと指摘された。老人は鞄の中から幾種類ものサプリメントをたくさん取り出し海洋深層水と一緒に口に放り込むのだった。
「君はまだ若いのに、いまから老人みたいな口をきいていると脳が本当に自分は老人だと思いこんでしまうよ」と説教されてしまった。
 その日のゴルフコンペはなんだか寝不足のせいか疲れてしまったが、その老人は艶のよい肌をしてコンペが終わるとクルマで福井まで帰って行った。
 どうやら僕の脳をもう10代若くしなければならないらしい。平気で8時間はぐっすり眠る脳に、戻さなければ…
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by jinsei-detox | 2007-08-05 12:53