心身に溜まった世の中の嫌な毒をデトックスしましょう。


by jinsei-detox

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ブログについて

 この前バレエのブログについて述べていたら、ブログという表現媒体そのものについて触れたくなった。
  僕が書いているこのエッセーも一応、エキサイトのブログを使用しているが、いわゆる個人が表現しているようなブログのつもりではない。あくまでも会社のHPに僕のポジションを意識して書いているわけである。
  ところで日本でブログを開設している人は総務省の発表では、なんと昨年の3月末で2539万人だという。なんでも英語圏や中国圏を除いてブログ人口は日本が1位なのだそうだ。タレントも力士もサッカー選手も役者も政治家もおっチャンもおばちゃんもみんなみんなブログを開いて、日記やら所信やら食べた料理のことやらを書いている。まったくすごいことです。
  まあ書くのはいいんだけど、いったい誰が読むんだろう?人気ブログは一日に何千件もアクセスがあるらしいけど、そうなると書く方もエネルギーをそこに集中しなければ持続できなくなるということで大変なことにちがいない。作家が息抜きレベルでやる芸とはちがって、仕事を持っているサラリーマンや主婦なんかブログのための一日という感じじゃなかろうか。(コメントがあればそれに返事をしていく、その繰り返しの時間と労力は相当のエネルギーだ)
  たしかにブログの中には無名の人ながら、博学的知識の量と深さに驚くべき能力を持っている人がいる。そんなブログを発見すると直ぐさま職業的触覚が働いてしまい、原稿の依頼をしたくなってしまうことがよくある。(そういう人はブログの構成などを見ても編集能力の高さを感じるのである)。でも、そういうことは希であり、おおよそが無自覚な日常的垂れ流しで、喜んでいるものが多い。(その人に興味があれば垂れ流しであろうと、その人の日常感覚がわかって楽しいのかもしれないけど)
  まあこれからブログをやる人(ブロガー)は増えることはあっても,減ることないだろう。そのブログも人気があればアフリエイト広告がつき思わぬ収入になることもあるかもしれない。ブログはコミュニティツールとしてますます発展するだろう。しかし、社会的に見れば、ブログは簡単に開設できるため、ときとして、発信者のモラルが問われるようなものも多く出てくることもすでに問題になっている。勤務時間に何食わぬ顔でやるものもいるだろうし企業や、国家の秘密でさえ漏洩することもある。つまりブログそのものがリスク要因と捉えて、会社も企業も国家も危機管理のマニュアルが必要となってきているのだ。
 でも誰か知らない人の知的な文章に触れたときの楽しみというのは、作家とは異なった楽しみがある。名も知れぬ市井の人の呟きが同時代性を感じさせるものとして、輝いているのは頼もしいことでもある。
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by jinsei-detox | 2007-09-30 20:32
 うちの会社でバレエの本を出している関係で、いろんなバレエのサイトやブログを参考に眺めることが多い。特に「大人からのバレエ」をやっている人のブログの呟きが面白い。テクニックが上達しない嘆きがあったり、自らの反省や練習の確認などがその人の知識の引き出しに応じて表現されている。
 ほんとうに直向きな態度で挑戦する姿勢には脱帽する。彼女らは30代、40代、50代と様々である。子どもの頃、習っていた人もいるけど、お姫様を演じてみたいという子どもの頃の憧れがこころのどこかにひっそりと宿っていたというのがモチーフになっているようだ。それにしても彼女らは子どもがすんなりとテクニックを覚えてしまうのと異なって、体が思うように動いてくれないことに多くの女性が嘆くのである。
 その嘆きは人ごとではないということを、最近漸く気付いたのである。つまり、僕のゴルフと同じじゃないかと思ったのだ。まさか「大人からのゴルフ」というのはないだろうが、歳を取ってからは始めるとその進歩の遅さは滅入ってくるものがある。指摘されたひとつを意識すれば前のアドバイスを忘れてしまう。あれを思えばこれを忘れてしまうという自分に腹立たしくなるわけである。10を知って10を覚えた子どもの頃を思えば、歯がゆくて歯がゆくて面白くないのである。とはいえ、週に1回くらいの練習場での練習でテクニックを身につけようというのが、そもそもおこがましいのだ。コースに出るのは月1回。上手くならないと愚痴るのがナンセンスなのだろう。
 それに較べると「大人からのバレエ」の女性はいじらしいし、励まし合ったり、アドバイスし合ったり。日常の風景や、映画、文学、趣味の世界までがバレエのフィルターを通して語られる。そういった上質な感性を享受するだけで、読み手の僕も学ぶことが多いのだ。
 それに較べるとだいたい「大人からのゴルフ」のブログなんてあるわけもない。ブログで励まし合っているおじさんたちの姿を想像するだけで、じんましんが出てきそうだ。そんなものがあるとは思えないのだがどうだろう…もちろんあってもいいんだけどね、僕の知っているアマチュアゴルファーから想像すると、そんなデリカシーのあるやつはいないな。
 もっともゴルフはスポーツ〈狩〉で、バレエは芸術〔表現〕に属するからかも知れない。だけど、パリ・オペラ座のルグリはゴルフがうまいというからなあ…
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by jinsei-detox | 2007-09-27 12:53

見失っていた気持ち

  とうとう来るべきものが来てしまった。親父が貧血状態で倒れて入院してから1ヶ月が経つ。親父は肺炎を併発して一時は危ない状態だったが、ようやく持ち直したと思ったら、また肺炎をぶり返し、酸素呼吸に切り替わった。
 その間、家人、オフクロ、妹などが世話をし、夜は家政婦さんを呼ぶことでなんとか凌いでいる。
 2ヶ月前の親父と僕らはまだ会話は成り立っていた。だが入院を機に段々と会話がスムーズに行かなくなり、親父の自己認識も危うくなってしまった。
 カテーテルからの点滴を施されながらも、親父は家に帰りたがっている。体力が回復すれば、退院ということになるのだろうが、家でオフクロが介護をするというわけにはいかない。ならばかわいそうでも介護施設に入ってもらうしかない。家族の状況を考えればそう決断するしかないのだ。
 この辛さは自分がその立場になってみないとわからない。多かれ少なかれ世の人々は黙って、それを乗り越えてきた。医療の貧しさとか、介護福祉の未熟さを挙げ連ねても、解決する問題は多くあるわけではない。
親に長生きをしてもらいたいと願いつつも、自分の仕事を投げ打って介護することも出来るはずもない。
 論語の親孝行の時代は終わった。論語の親は40代50代であろう。今は70の子が90代の親の面倒を見なければならない時代なのである。論語の親孝行のリアリティはなくなったと見なくてはならい。といったところでなにかが断ち切れるわけでもない。
 そんなことを想いながら溜息を吐いていたが、ふと見失っていた言葉が蘇ってきた。「感謝」である。こんなに長く親父とふれあうことが出来たことに感謝しなければならい。家族にも感謝だ。そんな気持ちを見失っていたことにふと気づいた。
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by jinsei-detox | 2007-09-18 01:27