心身に溜まった世の中の嫌な毒をデトックスしましょう。


by jinsei-detox

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ある晴れた日に

 metオペラシリーズ・「蝶々夫人」を観てきた。昔、
どこのオペラか忘れてしまったが、この「蝶々夫人」を観て、あまりにも日本文化の姿を
いいころ加減に作っていることに、またその舞台の退屈さ加減にうんざりした記憶があるから、実のところどうしようか迷っていた。プッチーニの曲は好きだし、以前観たmet のオペラは当たりだったので、そのシリーズに期待して観ることにした。
 映画監督アンソニー・ミンゲラの演出力に驚いた。いやあ、舞台の演出というものを改めて勉強させられた。僕がもっともっと若いころ、この作品を観ていたら、あのまま舞台の演出の仕事をしていたかもしれない。こんなに自由に作品を解釈し、またビジュアルとして説得力あることができるとは思いもしなかった。
 このオペラはすごかった。もちろん衣装デザイナーが中国人ということもあり、日本の衣装など観ていて恥ずかしいこともあったが、僕らがスコットランドとアイルランドの文化の差異がわからないのと同様なことだと思えば「まあね」と鷹揚に構えられるものだ。
 僕は蝶々さんを演じたパトリシア・ラセットの歌唱力と演技に涙してしまった。一途な純情な愛に胸を打つのだった。これが「蝶々夫人」の人気の秘密なのかと一人納得したものだった。
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by jinsei-detox | 2009-03-30 07:45

神が降りてきた。

 昨日は日本列島が悲鳴を上げ、そして歓声の声で充ち満ちていたね。うちの会社の女性陣も最終回の日本の攻撃とラストイニングのダルビッシュの奪三振の時には、みなさんキャーと黄色い声を上げたものです。そうwbcのことです。あの試合勝ったと負けたとではまったく違っただろうなあ。日本中がみんな少し元気になったようですね。
 それにしても、イチローのコメント、メッセージはまたまた胸に届いたなあ。
 あの天才的バッターにもスランプが生まれ、その苦しみを苦しみ、辛さ、痛みを感じたという。そしてようやく最後のバッターになるかもしれないという大重圧の中で、追い込まれたときに、「神が降りてきた」という。
 あの日本語は美しかった。「神」は降りてくるものだと改めて思った。
 イチローはイチローになるために人知れず努力をしているという。誰よりも早く球場に現れ、体の手入れを行い、入念なチェックを行っているともいう。
 天才と呼ばれる人のこんな努力を僕は知らなかった。悔いと苦しさを核に痛みの中から成長していくと言うことを改めて知らされた。彼の爪の垢でも煎じて呑まないとだめだと反省をする。
 僕だけではなく多くの日本人がそう思ったに違いない。
 それにしてもいつもながらイチローの言葉には感心させられることが多い。表現においても彼は並の人ではないと思う。いつか彼が大リーガーで活躍している姿を球場に行ってこの目で見てみたいものだ。
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by jinsei-detox | 2009-03-25 11:16
 先日、本当に久々に国立劇場に歌舞伎を観に行った。演目は河竹黙阿弥の「新皿屋敷月雨暈」。四幕六場の通し狂言である。通称お蔦殺し魚屋宗五郎というらしい。本来怪談ものを新しく改作したもので人気作品だという。チラシにはそういう紹介文が記されているが、僕にいわせればこんな中途半端な芝居をよく作ったものだと思うのだ。
 というのも魚屋の宗五郎という男の妹のお蔦が旗本磯部主計之助に妾奉公しているのだが、悪い家来の陰謀にあり、不義密通の嫌疑を受け、拷問の上、殿様に切られ殺されてしまう。お蔦は死に際に「この恨みはらさでか」と四谷怪談のお岩さんでなじみの台詞を投げ、井戸の中に落ちていく。ここからはもう怪談もののストーりーが展開されないわけがないはずなのに、舞台の展開は兄貴がお蔦の死を知って、禁酒していた酒を再び飲み始め、酔っぱらって旗本の殿様の家に恨み言を吐きに行くのだ。それで簡単に言うと殿様がわしが悪かったと手をついて謝ってめでたしめでたしというわけ。
 おかしいよ、この話。昔、尾上菊五郎が黙阿弥に酒乱の役をやってみたいので作らせたものらしい。河竹黙阿弥といえば幕末から明治初期にかけての人気作家であり、有名な舞台では、知らざあ言って聞かせやしょうで有名な「三人吉三」。河内山宗俊で有名な「天衣粉上野初花」などの作品があり、当時の歌舞伎界では大御所的な存在だったという。でもなあ、歌舞伎というのはああいうものでよかったのかもしれない。もともと作家ありきではなく、役者が中心のものだったわけで、何度も何度も演じなおしで舞台が残ってきたものだからだ。
 とにかく三味線や下座の音曲を久々に聞いて、江戸人の粋を感じてきたのであった。
 で劇場はというと六分程度の入り。中年のおばさんたちだけという寂しさがありました。団十郎や海老蔵など若い人に人気役者がでないとこういうとなのです。
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by jinsei-detox | 2009-03-24 20:48

無念ということば

 いまだ佐伯泰英の時代小説を呼んでいる。いまは「密命」シリーズで金杉親子の活躍降りを堪能している。彼らが倒す相手の中で、「無念!」と最後の言葉を吐き命を落とすものがいるのだが、チャンバラ小説にはよく出てくる「無念」ということばになんとなく不思議な感じがしたのだ。僕も子供の頃棒きれを振り回してチャンバラをやって「残念無念」などといいながら死ぬまねをしたものだ。
 まあそんな風に「残念」という言葉が「無念」の前についていたらそのまま言葉の意味どうりに受け取るのだが、よく考えてみると「無念」は念が無であるのだからすっと成仏できる言葉じゃないのかななんて思ったわけだ。死ぬ前に思い残すことがないという解釈だと意味が通じないから「無念」というのは言葉の字義どおりでなく、「残念」という字義に引きづられた言葉なんだろう。
 でもそんな曖昧な解釈でいいのかな?
 というようなことをぶつぶつ思ったりして怠惰な時間をつい費やしてしまっている。
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by jinsei-detox | 2009-03-18 16:25

懐かしいパントマイム

 昔の芝居仲間がパントマイムをずっとやり続けている。もうかれこれ30年にもなろうか。パントマイムの劇団(汎マイム工房)を作り、デパートやイベントやショーなどに出演をしながら、自分のパントマイム表現を公演している。主宰者である彼が本を出版したいので相談に乗ってほしいという依頼もあり、久しぶりに彼の劇団の公演を観ることにしたのだった。
 「チャイム」という出し物で出演者は男が二人、女が四人。研究生の公演ということで技術的にはまだまだ納得できる芸にはなっていなかったが、演出的な流れとしては途中から満足できるものだった。僕はもともとパントマイムは難しいテーマを追求するよりもリズムカルで楽しく見せてほしいと思うものだった。明るく楽しく演じることでチャプリンのような人間の哀しみや嬉しさなどが表現できたら最高じゃないかと思っていた。
 そういう意味で、今回の筋は「マイム学校」の授業という枠の中で時間が流れてくれたので気楽さが幸いしたのだと思う。それにしてもマルセル・マルソーやジャンルイ・バローなどに憧れた演劇世代ならとにかく、いまどきパントマイムをやりたいと思う連中がいるなんて、不思議な感がする。そしてこんなことをいうと失礼なのだが、見た目にもパットしない男女なのだ。華やかさがまったくない、芋姉ちゃんと芋兄ちゃんなのだ。踊りも体のいなしも鈍い連中だった。どういうところからマイムをやろうなんて思いついたのだろうか。
 そんな風に思いながら舞台の彼らを眺めていたのだが、とにかく続けるならなんとか人目を引くような芸を身につけなくては駄目なはずだ。そういうことを自分が本気で考えるかどうか。まあなんの世界であろうが、その道で売り出すということは大変なことです。
 家に帰ってyutubeを開き、チャプリンの「city light」を観ながら人の心を掴む技術とそのあざとさとの駆け引きの難しさを感じ入っていた。
 
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by jinsei-detox | 2009-03-15 12:43