心身に溜まった世の中の嫌な毒をデトックスしましょう。


by jinsei-detox

<   2009年 09月 ( 3 )   > この月の画像一覧

 昨日取材で映画監督の木村威夫さんにお会いした。映画「黄金花」の試写会のあとのインタビューをお願いしていたのであった。木村監督は今年で91歳である。80歳で映画を監督するまで、彼は映画の美術監督をしていた人である。僕の観た映画で一番印象深い作品は鈴木清順の「けんかエレジー」だろう。
 「黄金花」のストーリーは老人ホームに暮らす老人たちの夢を描いたものと一口に言えばそうなる。主役は植物学者の原田芳雄の幻想の中に現れる黄金花に心奪われる事象に幼少期の母への憧憬、青年期の女性、戦後のカストリ時代の放浪などが老人の夢のなかに現れるよう構成される。このあたりの映像の積み重ねを木村監督はドラマツルギーを無視した自分なりの表現大成であると語った。ともすれば臭い表現にもなる危うさを感じさせるが、91歳の人が世間におもねることなく自分の表現だと断じるのであれば、なるほどと頷くしかないのである。
 さて木村監督の健康の秘密は睡眠と水だという。そして好き嫌いのない食べ物だともいう。
 監督と呼ぶよりおじいちゃんと云いたくなるような人のいいお顔をされているので、こちらものびのびと気さくな雰囲気でいろいろとお聞きできたのである。
 帰りしな木村おじいちゃんは僕のところにすっと戻ってきて、「あのね、長生きの秘訣はある程度歳がいったらセックスを慎むことだよ」といたづら小僧のような顔でいった。あのう、ある程度の歳というといくつぐらいなんでしょうととこちらはまじめな顔でお尋ねする。「そうだな、70歳くらいかな」だって。ニコッと笑うとじゃあねと云う具合に去っていったのである。いいな。ものを作るということが歳を取らせないのだと思うのだった。
[PR]
by jinsei-detox | 2009-09-25 21:33
 村上春樹を読んだのは何年ぶりだろうか。確か「東京奇譚集」という短編集を読んだのが最後だったような気がする。僕は特別な村上春樹の熱心な読者ではないが、彼の初期の作品には癒された思い出がある。まあそれは別にして、久々の現代文学に触れて、というのも僕はずっとこのところ佐伯泰英の時代小説のなかをウロウロしていたので(「居眠り磐音・江戸双紙」は30巻目に至った)物語の質の違いを当然のように実感してしまった。
 村上春樹の「1q84」という作品はなんと200万部くらい発売早々に売れたという。いつか古本屋で安く出回ったら話の種に読もうかという気持ちだったが、会社の若い女性が彼のファンで、貸してあげるというのでだったら今読もうかということになったのだった。
 僕は浅田次郎をよく読んで泣いたことがあるけど、村上春樹はビールを飲みたくなるけど、泣きたくなるということはない。でも「1q84」は恋愛小説だ。現代の愛はこのような表現でしか成り立たないと僕は思う。もちろん物語の中の恋愛は普通の意味で成就しないし、やはり泣かせてもくれない。とても知的で情緒に訴える要素がないからだろう。でも感心することに彼の小説にはセックスシーンが多くなった気がする。しかも情緒のこもらない存在の不安に対する対処のようなセックスである。主人公の一人である天吾という青年は人妻と不倫でのセックスをとても気持のいいものとして考えているがこの二人とて恋愛のセックスとは異なっている。
 村上春樹は僕と同じくらいスケベな親父になったからこんなシーンを沢山描くようになったのだろうか。描いたからといってその場面が劣情を催すような描き方でないのは自明なのだが、この辺が堂々と描いている感じがあって、なぜかわかるわかるという気になるのだが、本当のところはよくわからない。
 それにしても時代小説の中の主人公、たとえば磐音とおこんの恋愛は素直な情緒100%の恋愛であり、安定しているからこそ痛快なチャンバラが楽しめるのである。
 僕が言うまでもなくこの二人の著者は超ベストセラー作家であり、どちらも時代の要求をかなえる才能をもっているわけだ。
 僕は読みかけの「海辺のカフカ」を読み出したりしている。また電車の中では佐伯泰英の文庫本を読んでもいる。現代人は揺れているのです。
[PR]
by jinsei-detox | 2009-09-22 19:31

もぐら町1丁目

 先週の土曜日に龍昇企画・前川麻子の「もぐら町1丁目」という芝居を観てきた。
昔でいえばアングラというか小劇場の芝居である。どんな話かというとまあ生きることに少し倦んだというか疲れたというかそういう家族の話なんだけど、夢にはぐれてしまった人たちの与太話みたいな作品といえば正解か。それが結構知的な刺激を与えてくれるので実におもしろかった。作品はあきらかに劇的なストーリーを排除して、劇を失った現代人の日常的なエピソードを積み重ねて構成しているのだ。結婚式場でこれから結婚式に臨む疲れた女とその親族が織りなすゆるゆるの苦笑ドラマである。
 なるほど「もぐら」かあ。お日様の下では生きていけない生き物たちの姿がなんとももって身につまされるのだ。
 それにしてもメジャーなドラマではないこの様な芝居の価値は十分にわかるのだが、知っている役者たちの
生活を考えると大変だなあといらぬ心配をするのである。
 芝居をやって飯を食うことの大変さはよく知っているから余計にそう思うのである。
 本当に彼らはモグラのような生き方をよしとしている開き直りの強さがある。

 モグラと言えばつい最近、我が家の張り替えたばかりの芝生にモッコリと盛り上がった道がいくつも走っているのだ。なんだこれは?と庭師に聞くと、モグラがミミズを食べにきたのではというのである。
 畑にモグラの荒らした跡は見たことあるけど、我が家の芝生を荒らすとはまったく言語道断である。
 無理をして今年の春に張り替えたばかりだったのに!
[PR]
by jinsei-detox | 2009-09-04 18:39