心身に溜まった世の中の嫌な毒をデトックスしましょう。


by jinsei-detox

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ようやく春めいた空気になったようです。とにかく寒い冬でした。
 最近僕は小津安二郎のDVDを立て続けに観ています。著作権がきれたのか9本で1980円という安さで購入できたからです。東京物語、麦秋、晩春、父ありき、風の中の牝鶏、一人息子、戸田家の兄妹、お茶漬けの味、長屋紳士録などが入っています。
 戦前の古い映画も入っており、フィルムに傷がついていたり、音響が聞き取りづらいところがあったりで、少々鑑賞しにくいところもありますが、おおよそ小津の映画の基本が提出されていて納得のいくものになっています。
 映画には戦前、戦後すぐの日本人が描かれいるのですが、その姿というべきか生き方がとても懐かしく感じられるのです。そしてなんといっても、原節子の笑顔の魅力はいまでも溜息がでるくらいに素敵なのです。昔の女学生気質とでも言っていいのか、汚れていない生き方が感じられます。
 それから笠智衆のなんともいえないせりふ回しは演技というものを意識させない不思議な力があります。
 若いころから父親役とか爺さん役をこなせるのも実に不思議な役者なのです。彼は老人の真似をしないで
老人を演じることができるのです。(ちなみに今NHKの朝ドラ『カーネーション」ば主人公のばあさん役を演じている夏樹マリの演技はその意味で典型的な駄目なそれなんですね)
 笠智衆の演技の意味を知っていたからこそ小津監督は彼を使い続けたのでしょう。

 それにしてもあの映画の中にいた俳優たちはほとんどがもうこの世にはいない。(原節子がまだ存命でいらっしゃるかな?)みんな歳をとり死んで行くんだなということを強く思ってしまった。

それにしても原節子はなぜ結婚しなかったのだろうか?
きれいで 品格があって、明るくて、少しさみしそうで優しそうで、もう言うことなしの女優。
永遠の乙女は結婚なんかしてはいけないのだろうな。


小津安二郎の映画を観て、いまドラマチックな作品は観たくないような気持ちになっている。
彼の作品をもっと突き詰めたらおもしろいものが見えるのだろうな。
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by jinsei-detox | 2012-03-31 00:45 | 文化

吉本隆明さんなくなる

 3月16日、吉本隆明さんが亡くなった。ついに吉本さんもあっちの世界に逝ってしまったかという感慨にしたっていた。お葬式に参列しようかとも思ったが、集まってくるだろうと思われる人々と顔を合わせるのがうっとうしく思えて、行く気になれなかった。もっとも僕は長岡にいて、お袋の案配をきにしていたときだったこともある。
 副島隆彦氏から彼の葬儀に行かないのかという電話ももらったが、やめておいた。
 吉本さんはお袋と同じ歳だったから、老いていく速度が手に取るようにわかった。
 吉本さんは確かにいろんな人がいうように、ぼくら団塊の世代には思想的な影響を与え続けてくれた人だった。
 吉本さんを始めて読んだのは、18歳になったばかりの頃で、友人が彼の素晴らしさを懸命に教えたくれたので、読んだのだった。以来僕もすっかりと吉本ファンになり70年、80年代をうろついてしまった。
 僕が防衛庁の「セキュリタリアン」という広報誌のアドバイザーをやっているときに、吉本さんのインタビューを企画して、世間を驚かせた。ふつう処世にたけている左翼的知識人はみんな防衛庁の広報誌などと言うと、気を付けていろいろ言い訳しながら断ってくるのだったが、吉本さんは快く引き受けてくれたものだ。
 あのお宅の部屋で熱く彼独特の平和論を語ってくれたのをいまでも声とともに覚えている。あの絶対的に孤独な革命家が温和に、ときには激しく語ってくれる姿に一緒に行った自衛官も感動していたのだった。
 吉本隆明さんはどこまでもやさいい父親のような人だった。ただ偽物の知識人、反革命者にはどこまでも
厳しく弾劾せずにはならない人だった。
 最近彼の熱心な読者とではなくなっていた僕ではあるが、老化というキーワードで、老人の身体は身障者の問題とことは同じなんだと言うことを云われたいたことがあるが、ご自身這うようにして日常を過ごされていたことを思うと、あのさっそうとした吉本さんとがどうしても相容れないことの無残さが老化という意味なのだと知らせれたのである。それは深い悲しみ以外なにものでもないのだ。
 僕はいち大衆のひとりとして、吉本隆明氏の逝去を悼み、また悲しみのなかにいる。
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by jinsei-detox | 2012-03-19 17:36
  いやあ、カッコいい!実にダンディだと深く唸ってしまった。なんの話かと言えば、1952年製作の大映時代劇「すっ飛び駕」のDVDを観たのでした。映像はフィルムの保管がよくなかったせいで、なんとも見づらかったが
それを上回る面白さでなんとも時代劇の面白さを堪能したのだった。
 いやいや大河内傳次郎の「天保六花撰」でおなじみの河内山宗俊。これがまた堂に入って渋いというかダンディなのだ。子ども時代、東映時代劇のファンだった僕としては大河内傳次郎のことはしっかりと覚えている。
 どんなお話しかというと、不正を告発しようとして殺された父の意思を継ぐために、江戸表の藩主の下を向かう若侍市之丞を河内山宗俊が救う筋立てである。
 悪い家老たちを相手に歌舞伎の芝居仕立てで、科白をべらんめえちょうで吐く演技には思わず、かっこいい!とニヤニヤするしかない。あの昭和の時代の映画館のお客も待ってましたばかりに拍手を送っていたにちがいない。 幸せだった映画の時代だ。
 観ながら作り手は才能ある人たちにちがいないと思っていたら、案の定、いやいやそれもそのはず、監督はマキノ雅広、脚本が伊藤大輔、カメラは宮川一夫といったメンバーだった。なるほどねとそれはそれは幸せな気分になったものです。
 亡くなった淀川長治さんではないけど、「いやあ映画っていいものですねえ」と深夜独りごちて眠りにつくのでした。
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by jinsei-detox | 2012-03-14 19:01 | 文化
先週の土曜日、東京文化会館でモナコのモンテカルロバレエ団の「シンデレラ」を観るが、どうも僕にはピンとこない。あとで作品に触れたいと思うけど、口直しで下の息子と「ヒューゴの不思議な発明」を観に行く。
 久しぶりに映画を観て幸福な気持ちになった。息子も面白かったねと素直に評価していた。
 1920年代のパリのリオン駅?の時計台の中に住む少年の話なのだが、この少年と出会う少女の爺さんがやはりこの駅の構内の中にあるオモチャ屋をやっている。この爺さんが本当言うと主人公と言っていいかもしれないのだ。というのも実はこの爺さんこそあの映画の父と言われるジョルジュ・メリエスだったのだ。爺さんは世間に忘れられ、自分も昔のことを呪っているくらいに激しく人生に怒っている。その爺さんの怒りを溶くことになるのが少年の存在であることが、わかる仕掛けになっているのである。
 少年が亡くなった父の残していったゼンマイ仕掛けの人形を修理することに執念を燃やすわけだが、その行為が爺さんの過去をよみがえらせることにつながっていくからだ。つまり爺さんの人生を修復したのが少年の修復への情熱からだったのだ。
 この物語はマーチン・スコセッシ監督の映画に対するオマージュなのかもしれない。この映画にフランス語が飛び交っていないのが残念だった。でもほんとうに楽しかったな。
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by jinsei-detox | 2012-03-13 20:12

ウキウキしたい春なのに

 三月の声を聞いたのになかなか今年は暖かくなりませんね。もうすぐ東北の震災時から1年になります。
 あれから日本人の心の中にはえもいわれぬ不安感と焦燥感がくすぶっていると思われます。この国に対しての憤りも、自分たちの無責任さも含めてやるせない気持ちをどうすることもなく生きているわけです。

 今朝のニュースでは立川で98歳の老女と63歳の娘さんがアパートの一室で死んでいたという。この種のニュースが毎日のように流れてくる。市の担当者は個人情報保護のもんだいや、行政上の権限のレベルで
部屋に入れなかったとか言い訳しているのだが、みんな自分の責任にならないようになにかのせいにしている。
もちろん役所の人の責任を取りざたするつもりもないが、いやな時代になったなあとみんな思っている。
 だけどこれだけは言いたいのだが、役所は土日に仕事をしろと。なんでシフトを組んで土日にやらないのだろうか?普通の市民は土日にしか市民課にいけないのですよ。
 ついつい不満が出てきますね。役所の仕事は役所の論理で動いているのを壊さないといけないですね。
 なんだか大阪市長の橋本そんの声みたいになってきたようです。

 介護疲れでどうすることもできなく誰の助けもなく死んでいってしまう人がいる国の有り様。まったく江戸時代ではありませんか。消費税や税金が上がって、そのような状況を救える制度をつくろうというなら、増税もこころよく我慢しようというものだが、ただの政府の無能のせいでつくった赤字の穴埋めのためにやろうとしているのだからふざけるなよといいたいのだ。
 大マスゴミも政府の後押しを平気でやっているのだから呆れてものがいえないです。
 
 最近小林正観という人「昨年亡くなった人)の本を読んで、不平や不満は口にしない方がいいかなと反省したばかりなのにやはり不満は出てきますね。
 もうすぐ辛夷の花も咲く春がやってきます。ウキウキしたい春なのに!
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by jinsei-detox | 2012-03-09 13:52