心身に溜まった世の中の嫌な毒をデトックスしましょう。


by jinsei-detox

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 村上春樹は残念でした。中国の莫言という作家がノーベル賞だという。「紅いコーリャン」という映画の原作を書いた小説家だという。映画は観ているが、もちろん読んだことはない。中国の要人が語っていたが、彼の受賞で国威発揚がなると。中国の文化の威力を世界に知らしめることが出来るとも言っていた。文化の威力が聞いて呆れるよ。
 村上春樹がインタビューで言ってたらしいが、中国のあのデモは安酒を飲んで騒いでいるようなところがあると。実にうまいことを言う。考えてみれば、その感覚はずっと以前、僕らも体験したことがあるのではないだろうか。
 あの70年代の学園闘争の頃だ。安保粉砕、反権力、大学解体などを叫んだ世代、つまり僕らが体験した感覚である。それからバブル期のにわか成金の臭さを身につけ、上等の酒も飲んだときもあっただろうが、いつの間にかバブルがはじけ、しょぼくれて途方に暮れているといったところが我々の実際の感覚ではないだろうか。いや日本の本当の姿である。
 僕らはともすればあのニュースに映る中国人の大衆の暴動をみて、浅はかさを思うのであるが、ほんとうは僕らは彼らを軽蔑できる文化レベルではないのだ。
 実際、この国の政治のありさまを見れば、笑うに笑えない現実に僕らはなす術をなくしている。
 彼らが安酒で騒いでいる状態ならば、我が国は安酒を飲んだ朝方の二日酔いでゲロゲロもどしている状態なのかもしれない。なにも考えられない、酒さえももういいというあの二日酔いなのでは。
 それにしても村上春樹はノーベル賞なんて似合わないよ。もっとも取ってもいいけど、それでどうこうする作家ではない。でも久しぶりに映像で観たけどおっさんになっていたな。人のことは言えないけどね。
 
 
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by jinsei-detox | 2012-10-14 22:33
昨日久々に業者の人とゴルフをする。雨の心配をしていたがカンカン照りで、
暑ければ暑いで文句を吐く困った人たちである。
埼玉の鴻巣カントリークラブというゴルフ場なんだけど、ウィークデイなのになぜか
混でいるのだ。世の中、不景気だというのにたいしたものだと自分のことは棚に上げ
感心してしまう。
もっとも若い人はあまり見当たらず引退間際か退職したような人たちが多い。
 中には80才の老人たちが4人で廻っているのを目にして、なんとも複雑な気持ちになった。
というのも80才を過ぎてプレイできる健康状態にすばらしいと感心するのだが、(自分もあの年になって
プレイできたらどんなに幸せだろう)彼らの動きの緩慢さで、あとにつづくプレイヤーの速度が落ちてしまい、
進行に差し障りが出るのは当然のなりゆきである。
 ぼくのプレイも待ちの時間の多さにイライラとしてしまい、リズムを崩してし最悪だった。
 待ちの時間が多くなると当然プレイに影響するのはゴルファーだったら理解できることです。
でもそれを苦にせずいつも通りにプレイできる人もいるからまあ言い訳なんだけどね。
 それにしても老人たちがあんなふうにゴルフを楽しめるなんて最高だなと思う反面、
老害の側面も持っていることだけは確かだ。もっとも80才以上の老人が4人でゴルフをする図はなんとももって絵になりすぎる演劇的なショットだと思った。
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by jinsei-detox | 2012-10-12 15:01
あんなに暑かった夏があっという間に秋になってしまった。一雨降るごとに秋が深まっていく。
ほんとうに変わるときはつるべ落としのように待ったなしに変わってしまうものだ。
この感覚は人間が老いていく時間にも似ている。気が付くとすっかりと若さがなくなっている
身体みたいいなものか。
 いま「体が若くなる技術」太田成男を読んでいる。ミトコンドリアを増やすことがそれにかなうものだという論旨である。なるべく活性酸素をつくらず、質のいいミトコンドリアを増やすことが肝心。もちろん運動、空腹、背筋をのばす、寒さを感じることも大切だという。
 人間の60兆個の細胞の20~30%がミトコンドリアで、一つの細胞には200~3000個のミトコンドリアの器官だという。体に負荷をかけるために運動は欠かせないと自覚する。
 ところで細胞といえばノーベル賞をとった山中伸弥教授のips細胞の創造は人間の細胞の再生医療に大きな希望が持てるという画期的な偉業だという。
 このニュースが久々に日本中を明るくしている。日本の貧しい研究費を山中教授が訴えていたが、このノーベル賞でさっそく300億円が予算としてつくという。田中真紀子文部科学大臣、野田総理までがお祝いの電報をうち
自分の人気取りにさっそく利用しているのがなんとももって浅ましい。
 それにしてもこの山中教授という人は不器用な人で、整形外科医を落第していまがあるというから、なにが人にチャンスを与えるか分からないものだ。ほんとうに心地よいニュースが僕等を快活な気持ちにさせてくれている。山中教授たちスタッフにありがとうを伝えたい。
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by jinsei-detox | 2012-10-10 18:56 | 文化
台風一過ですっかりと秋になりました。
 
 土曜日に東京文化会館で「オネーギン」東京バレエ団を観た。この日29日はオネーギンが木村和夫、タチヤーナが斎藤由佳理。振り付けは今は亡きジョン・クランコ。
 ジョン・クランコの功績は男女の複雑なストーリを視覚的にバレエ化したということだろう。「ロメオとジュリエット」もそうだけど、大方の人がストーリを知っているという前提があるからなしえたものだと思う。
「オネーギン」もロシア人なら誰でも、いやヨーロッパ文化の中では知らない者がないからこそ
舞台化できた作品といってもいいだろう。
 簡単に話をしてしまえば、遊び人の詩人オネーギンが自分に恋する女性に、うざい感じで見向きもしなかった。
 彼は友人のフィアンセに軽くチョッカイをだして、それがもとで友人と決闘になり、友人を殺してしまい、自分の軽薄さを悔やみ続ける。そんなときに詩人がかつて自分に恋していた女性が公爵夫人になっているのをみてその美しさに圧倒され、彼女をものにしたいと思い、告白するのだが、彼女は未だ彼に惹かれながらも夫に操を立て彼から去るのである。まあそんな話だ。
 この原作はロシアの文豪プーシキンで、ロシア文学の父といわれている。チェーホフなどより前の作家である。
 さて、この役を踊るのは日本ではテクニックでは定評のある二人なのだが、僕としては不満だった。というのもこのタイトルからわかるように主役はオネーギンなのだ。この一見遊び人のような詩人はロシアのあらゆることに絶望しているわけだ。だからいまさら純愛なんて屁とも思っていない心境があるはずなのだ。
そういう背景を読まずしてただの遊び人なら、なんて馬鹿な男かと思うだけだろう。木村はそんな風に演じてしまうのだ。斎藤も男がデカダンスに溺れつつある人間を直感するから惹かれていくのであろう。そういう
深さが二人には見えないのだ。外的な役を思うばかりで、自分のオネーギンなるもの、自分のタチヤーナなるものが見つかっていないのだ。
 これはきっと舞台を客観的に視てだめ出しをする演出家的な役割の人間がいないせいなのだろう。
この舞台の前日と後日はオネーギンをシュットガルトバレエ団のエバン、マッキーが踊って、ものすごくよかったとあるバレエ評論家が言っていた。観てみないのでなんともいえないが、今度は本場ロシアの「オネーギン」
を視てみたいものだと思っている。
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by jinsei-detox | 2012-10-02 16:10