心身に溜まった世の中の嫌な毒をデトックスしましょう。


by jinsei-detox
 昨日村上春樹の小説について少し感想をもらしたのだけど、その小説に少し気になっていたところがあったので
追記しておきます。つくる君は36歳の独身男なのだけど、スマートフォンはあまり使わないというところが気にかかってしまったのです。というのも僕の身の回りの若い連中はいつでもなにかを調べたりするときはスマートフォンだからです。つくる君がフィンランドに行ったときもふつうだったら、グーグルで地図なんかを検索するだろけど、彼は紙の地図を見たりしてクルマを移動しているのです。僕の世代(村上も入る)だったらアナログのほうが近いけど、それでもグーグルは見ます。そんな感覚があれって思うのです。つまりあの世代のリアリティに少し欠けている様な気がするのですが…
 それとつくる君の回復のもととなった恋人沙羅という年上の女性のことがよくわからない。彼女には50男の恋人がいるのだろうかという疑問がなっとくいくかたちで主人公の回復になったのかが僕の頭ではよくわからないのです。つまり沙羅という女性にもしつくる君が見たあの男性がほんとうに沙羅の恋人だとしたらそれでもつくる君は彼女と一緒になりたいと思うのだろうか。そんな疑問を残して小説は終わるのだが、この結末の続きがあるようなきがしてならない。また続巻が出るのだろうか?
 僕が年を取ってきて読解力がなくなってきたのだろうか?読み落としたところがあるのだろうか?
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# by jinsei-detox | 2013-04-17 19:28 | 文化

なんで僕がこの本を?

 僕としては珍しいのだが、なんと発売間もない村上春樹「色彩をもたない多崎つくると彼の巡礼の年」という小説を購入し、すぐさま読んでしまったのでした。というのも新幹線で出張なのに読む本を持たなかったので、どうせならと思い東京駅で買ったのでした。小説を読むのは久しぶりのことです。
 なんて言えばいいのでしょうか…たしかに一気に読ませてくれました。昔から彼の著書はだいたい読んでいるので馴染みの感覚で読めるのですが、この小説の主人公は団塊の世代の子どもの話で36歳になっている。つまり団塊ジュニアの喪失感を描いているのです。でも村上春樹の描く団塊ジュニアはまるでいつもの村上春樹の主人公たちのようで僕には発見がありませんでした。現代の人間を描く意味で彼の視線はすでに老朽化しているように思えました。ただ物語の設定は名古屋が中心で主人公は名古屋から放り出された人間になっているのが村上春樹流の確かな場所を設定していると思わせるところです。
 僕にはよく分からなかったところがリストの「巡礼の年」という曲がこの小説のキーワードになっているのですがその曲のイメージと作るという青年のもーチーフの重なり合いがピンと来ないのでした。
 それにしても初版が50万部といいますからちょっと考えられない数字です。この本はそんなに受け入れられる本なのだろうかと考えてしまいます。内容と言うよりまるでユニクロやi-padを売り出すときのような商戦模様と言えばいいのだろうか。
 確かにこの物語はうまいけど、あきらかに彼自身の二番煎じであり、深みに欠けている様に思えるのです。それなのにとにかく売って売って売りまくれという版元と書店の動向がなんだかいやだなあと感じるのでした。
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# by jinsei-detox | 2013-04-16 20:49 | 文化
 今年の桜はなぜそんなに慌ただしく咲いたのだろうか?いつもの歳より10日は早く咲いているようだ。
 一本の桜の木でももう散りはじめている花とこれから咲こうとしている花があるからおかしい。
  桜が咲くと意地悪な雨と風が吹くのがいつものことだ。先日のような嵐のような風が吹いたら一発で
やられてしまうだろう。まだまだ寒いので落ち着いて花見という気にもなれないですね。
 でも花が咲くと気持ちが明るくなるのは事実ですね。
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# by jinsei-detox | 2013-03-26 19:22 | 日常
「midnight in paris 」がウッデイ アレンの何作目にあたるのか、僕はまったく知らないが、とてもあの軽さが今の僕には合っている感じがした。もともとウッデイ・アレンは食わず嫌いというか、なんとなく観たくないような雰囲気がしたからだった。だから正直な話、彼の作品はあまり観ていなかったのだ。
 この作品を見たのは息子のipodの中に、stephane wrembleの midnight in parisという曲があり、
偶然聞いたところ、何とも言えず甘いギターの調べにこれは映画音楽にぴったりだという感想をもったのだ。
それがこの映画の主題曲になっているのを後に知って、ウディ・アレンに辿り着いたという次第だった。
 たしかに映画に流れるこの曲は十分に作品にしっとりとした情緒を醸し出していた。

 アメリカ人の若いカップルが巴里に観光に来たところからストーリーは始まるのだが、脚本家で小説を書くことが夢になっている男が主人公で、婚約者の女性は要はアメリカ女(変な言い方だな)。この脚本家がパリの真夜中で1920年代のパリにタイムスリップしてあのスコット・フィッツジェラルド夫妻やヘミングウェイなどの芸術家や小説家に出会うのだ。しかも出会いのパーティはジャン・コクトーが主催しているなど、ちょっと著名な芸術家連中が沢山登場しており、このアメ公の脚本家を親切に相手をするのだ。いやあ何ともうらやましい楽しい設定なのだ。このパーティで出会うピカソの愛人のアドリアナとい女性がtとにかく素敵だ。マリオン・コティヤールという女優らしい。昔のジャンヌ・モローを思わせるようなフェロモンを漂わせている。僕も思わずスクリーンの中にいれば、このアドリアナに一目で恋してしまうだろうというほどの魅力溢れる女性だった。彼女との淡い恋も破れ、男は婚約者のアメリカ女にも捨てられ一人パリに残ってしまうのだが思わぬ彼を拾う神が現れるのだ。
 こんな脳天気な映画を作れるウディ・アレンはなかなかの達人であることを知った。
 僕が歳をとってようやく彼の洒脱さがわかったのか、そういうことをすでに知っていて彼の作品を楽しめる人たちがいたことに僕は頭を下げるしかない。これから少しウディ・アレンの作品をつづけて観てみようかな。
 しかし、ぼくもミーハーだね。この映画のせいで、ヘミングウェイをまた読んでみたいと思ったのだから。英語ですらすら読めたらどんなにいいだろうなあと。
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# by jinsei-detox | 2013-03-20 12:13 | 文化

都電に乗って鬼子母神へ

 この昨日一昨日とどうしたんだろうと思うような風が吹いていたが、今日は穏やかな春の日になった。
桜の蕾も赤く染まりちらほらと咲いている木もあった。その前に、やはりああ、春だと思わせるのは辛夷の
花だ。
 先日40年ぶりくらいに都電に乗って、雑司ヶ谷の鬼子母神にいってきた。鬼子母神にはお参りをしなくてはと思いつつ今日まで延ばしてしまったのだ。僕が鬼子母神さんにお参りしたかったのは、栃木にいらっしゃった仏師が彫られた鬼子母神の仏像をいただいて僕の部屋にずっと置いてあるからだ。この仏像を拝まさせてもらってから僕の生活は落ち着ちつくようになったのだ。話せば長く、語るも涙、聞くも涙の物語だからやめておく。
 雑司ヶ谷の鬼子母神さんは僕が東京に上京して間もない頃、訪れた記憶がある。なんだか今訪れると境内が狭くなっているような気がするのもまわりの環境のせいだろうか…
 そうそう都電も本当に久しぶりだ。昔、学生の頃、面影橋に下宿していた頃があったので、都電にはよく乗ったものだ。自分の身体感覚が電車に乗ってもあまり昔と異ならないことが不思議だった。なんだか心細いようなあの頃の感じと変わりなかった。
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# by jinsei-detox | 2013-03-19 21:01 | 日常
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暖かくなったと思ったら突然寒くなったりでなかなか春にはなりません。
 昨日長岡でお袋の最後の花展ということで、観に行ってきました。長岡も寒いこと!
 おふくろは今年の4月で89歳。作品を観ていると、エネルギッシュななにかを花から感じました。
 足の痛みさえなければ、まだまだ元気です。少しほっとしました。
 ものを創ろうとする意欲があるうちは生きるエネルギーがあるということだから、もう少しやってもらいたいと
思うのでした。
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# by jinsei-detox | 2013-03-11 20:27

メタポの次はロコモです

少し暖かくなりました。近くの梅の花が咲き始めています。
ことに紅梅と黄色の梅が慎ましく花を咲かせてます。
 それから辛夷の花の芽が大きく膨らみ始めています。早く暖かくならないかなあと思うのは
僕が歳を取ってきたからなのでしょうね。
 ずいぶんゴルフもやっていません。この寒いのに出かける気がしなかったのでした。
 最近ロコモという言葉を目にするようになりました。正式にはロコモティブシンドロームというらしいのです。
 加齢とともに筋肉や骨が衰えて運動器の機能が低下して要介護や寝たきりになるリスクの高い状態のことを
いうのです。現在その予備軍は4700万人ということです。メタポの次にはロコモです。
 自分の体があと10年経ったらどんな風になるだろうかと考えるとちょっといやですね。
 70歳80歳になっても背筋のシャキッとした人間でいたいと思います。
 近所に江田島の海軍士官学校をでたという方がゴミ出しの日にもしっかりとした足取りで、ゴミを出しに来られます。スタイルはすらりとしています。フーム、斯くありたい姿です。
 いつか秘訣を聴きに窺おうかと思っています。老人になってもぴっしとしていたものだと最近ことに
 感じています。
 
 
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# by jinsei-detox | 2013-02-28 20:30 | 健康
先日夜中に目が覚めて、ラジオのスイッチを入れると、NHK深夜便の「にっぽんの歌」という番組をやっていた。
 アナウンサーが仲宗根美樹「川は流れる」のリクエスト文を読み、やがて歌が流れ出した。

 病葉を今日も浮かべて  街の谷 川は流れる
 ささやかな望み破れて 哀しみに 染まる瞳に
 たそがれの 水のまぶしさ

 高校の頃だろうか、しょっちゅう耳にしていた曲だった。昭和三十六年の歌という。
 ラジオの解説によればうたごえ喫茶から流行しだした歌だという。病葉(わくらば)ということばに当時は関心もなかったがこの曲を聴いてこの言葉が気になって仕方がなく、調べてみると、病気や虫のために枯れた葉。夏、赤や黄色に色づいて垂れたり縮まったりした葉のことをいうのだそうだ。意味の深い思いのある言葉だったのだ。
 作詞家は横井弘という。「あざみの歌」とか結構、人生派のうたう大御所だったらしい。
 まだ当時はこんな挫折感あふれるような歌が人々のこころに受け入れられていたのだと思うと、やはり日本はかわったんだな。 川を見つめている人は若い女性のような気もするし、傷心の身の男性のようでもある。
 なぜか情景はなんとなくお茶の水の聖橋から見る神田川あたりを思い浮かべる。聖橋からの風景に僕なりの思いがあるからだ。

 ともし灯も 薄い谷間を
  ひとすじに 川は流れる
 人の世の 塵にまみれて 
 なお生きる 水を見つめて
 嘆くまい 明日は明るく

 こういう歌が人の共感を呼んだ時代があったのだ。もう戻ることも出来ないけど、あの心情は日本人からすでに失ってしまったものなのだろうか… AKBの歌に共感している若い連中も歳をとってふと口ずさみたくなるときがあるだろうけど、どんな歌なんだろうな。

 
 
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# by jinsei-detox | 2013-02-17 06:50
 まず大阪の桜宮高校のバスケ部の話から今はオリンピックの女子柔道界の話になってきている。
 自分が学校時代に体罰というものを受けたことがないのでなんとも実感が伴わないのであるが、(中学時代に担任に平手打ちのピンタを食らったことがある。これは学校で禁止されていた映画をひとりで観に行ったことで朝の朝礼の時やられた。でも担任からは可愛がられていたし、愛の鞭と解釈していたね)体罰でスポーツ技術が向上するなら、そんなうまいことはないというのが本当のところだと思う。
 選手がうまくならないから腹が立つて殴る。これは結局指導者の無能と幼さから来ているものだ。その指導者から気に入られないと思ったところに進学できないというようなシステムが出来上がってもいたらしいが、そんなことは惨めだよ。だいたいその大学に入って運動部に入部して、大きな会社に就職できるという魂胆があるのだろう。
 でもこの世の中どうなるというのだ。どこの大会社だっていつつぶれてもおかしくないのが今の世の中だ。そういうことを親がちゃんと子どもにいまの社会について語るべきだ。学校の勉強も運動も自分が生きていくための技術習得の手段なのだ。ほんとうに今の教育社会の無責任さの一旦からでるべきしてでた問題だ。
 それからオリンピックの女子連中!赤信号みんなで渡れば怖くない!というレベルじゃないか。いやいや組合を作って赤旗を揚げたというところか。
 もともと柔道なんてスポーツじゃないのだ。格闘技なのだ。相手を殺すか自分を守るかの世界なのだ。それを忘れて、シドウ、コウカ、などとポイントスポーツの真似をしているから日本は弱くなったのだ。だから世界柔道連盟から脱退して、武道の世界に戻れば体罰などというふざけた発想は出てこないのだ。金メダルを何個獲得したら将来連盟のメンバーになれば食い扶持に困らないなどという邪念に振り回されるから焦りからこづき回すようなことが起きてくるのだ。 なにかスポーツの世界で飯を食い続けようと思うところからこういった話が転がってくるのだ。
 そらからもうひとつ変な話が体罰じゃないけど出てきたね。AKBのなんとかという女が男と付き合って、それはルール違反で、その罰で自分から頭を坊主にした動画がyuotubeに出て大騒ぎになっている。
 もうまともな国じゃないよ.日本は。大の女が恋愛して、セックスしてなにが悪いんだ!それを反省して自ら坊主になる?そんな文化が日本にあったっけ?男が自分の犯したヘマを反省したというアピールに坊主になるというようなことは切腹の替わりにあったけど、女子が坊主になるなんて文化あったけ?坊主になるなら瀬戸内晴海じゃないけど、仏門に入る姿じゃないのかな?
 これってただの幼稚な発想なの?それとも秋本誰がしがしかけした企画ものなの?もうばかばかしくて悲しいよ。こんなことやっていると世界中の笑われものだよ。日本人はもう少しまともな民族じゃなかったのか。





 
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# by jinsei-detox | 2013-02-06 17:00 | 社会
 先日1月17日の夜、モスクワボリショイ劇場の芸術監督セルゲイ・フィーリンが内部関係者によって強酸性の液体をかけられ大けがをさせられたというニュースがバレエファンの間に飛び交った。幸い数度の手術によって失明は避けられたようだというのが唯一のほっとする伝聞だった。
 聞いた話に寄ればフィーリンはボリショイ劇場の従来の制度を改革していこうとする旗手だったらしい。つまり伝統的なバレエの興業の仕組みからダンサーの起用の仕方も変えていこうということを考えていたらしい。そこには外部からのダンサーの起用であったり、ダンサー構成員の序列を飛び越えての起用や演目の打ち出しかたなどがあるだろう。当然そこには従来の秩序を変えたくない人もいただろうし、恨みを持つものも出てきたには違いない。
 ロシアバレエはいまボリショイ劇場だけでなく、マリンスキーも、ミハイロフスキー劇場も大きく従来のあり方では成り立たなくなっているようで、そこにさまざまな組織の葛藤があるようだ。たとえばボリショイからサラフォーノフやワシリーエフという超スターを引き抜いたミハイロフスキー劇場はナチョ・ドアウトという人気振付家を招いて全面的に話題性のあるバレエ団に変身させた。これも経営者がお金にものをいわせたからだといわれている。で、スターをいろいろ連れてくるのはいいのだが、従来いたバレエ団員の待遇をないがしろにしたり若手の出番のチャンスがなくなってくるという現実も当然現出しだしてきているのだ。
 なぜこのような問題が大きく露出してきたかといえば、大胆にいえばソビエト時代のバレエという安定した組織の成り立ちが現ロシアになって消滅したからだ。つまり国家が全面的に面倒をみなくなったということもあるのだろう。かつてバレエダンサーといえば花形の職業で、年金も保証され待遇も保証されていたのだ。
 当然ダンサーの生活はスターは除くとして、厳しい現実を強いられてきたようだ。
 息子の話では9年間バレエ学校で修練したダンサーの給与よりもマクドナルドの新人店員の給与の方が上まわっているという店員募集のポスターをある日、見て愕然としたという。

 だからこの悲劇の裏にはただの妬みや僻みというような単純なものではなく、ロシア国家のひずみの一部として見なければならないのだと思う。

 今日の読売新聞記事にはバレエファンは失望の内にこの知らせを聞いたと書いてあるが、ロシアバレエ界の崩壊の一端にこの事件の深層を見なければならないのだ。とにかく絢爛と花開いたロシアバレエの担い手たちが自分たちの磨いた技術を朽ちることなく存在していくことを願うのみである。
 しかし無責任な言い方になるがこれからはロシアバレエから目が離せなくなるようだ。
 





 
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# by jinsei-detox | 2013-01-31 17:33 | 文化