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心身に溜まった世の中の嫌な毒をデトックスしましょう。


by jinsei-detox
気が付いたら9月はまったくこのブログに手を付けなかった。危うくセーフ。
 あの異常に暑かった夏も、いまでは朝など肌寒さを感じるほどになったから不思議なものだ。
 最近DVDで「アムール」というフランス映画を観た。別に愛情物を観たかったわけではないが、ほんのりとした
上質な家族愛みたいなものを期待して観たのだが、これは恐ろしいほどの人間のエゴ?の話であった。
 老夫婦の話で妻が脳と身体に異常をきたし、夫が彼女を介護する物語なのだ。二人は音楽家であり、裕福な
環境にある。夫は献身的に老いの身でありながら妻を介護する。映画はアパルトマンの中で外の風景はいっさいない。これだけでも映画としては退屈な環境なのだが、それが緊張感あるストーリであきさせない。しかも介護の風景でだ。要は観ているだけでも介護というのはほんとうにかなわない人間のやりとりなんだということがわかる。
僕はまだ母親の介護もしていないので、こんな暢気なことを言っているのだが、いずれその時期がやってくるのは目に見えている。ため息をつきながら誰しもがこんなやりきれない世界を経験するのだと思うと滅入ってしまった。
# by jinsei-detox | 2013-09-30 19:37 | 文化
遅ればせながら「永遠の0」百田尚樹を読んだ。「風立ちぬ」を観た影響もあり、零戦の話を読む切っ掛けは充分熟していたのだが…いやあ、まいってしまった。
 むかし僕もいろいろと日本陸軍海軍の愚かさを嫌と言うほど感じた本を読んだことがある。その度になぜこうも日本という国は人命を軽々しく扱ったのかと腹立たしさで一杯になって途中で読むのを中断したくなったことが度々だった。といってもそれぞれの戦争ルポは腹立たしさだけが記憶に残っており、兵士の顔は覚えていないのだった。
 ところがこの「永遠の0」は宮部久蔵という青年が家族を守るために零戦で戦う物語で、この男の素晴らしさに感動しかつこの男を殺した日本海軍の愚直さにまたまたため息をついたのだった。
 この物語にも登場するかつての零戦のエースといわれた戦闘機乗りの坂井三郎氏にインタビューしたことがある。いまから二十数年前だっただろうか…。氏も海軍の幹部連中の駄目さ加減を当時も指摘していた。僕は氏の著書である「大空のエース」等を読んでいたので零戦の優秀さと空中戦の難しさをおぼろげにも理解できたのだった。それにしてもこの零戦を設計した堀越次郎の物語「風立ちぬ」がこの著書を読むにつれて思い出すのだった。この物語の主人公宮部久蔵が語っている。

「広い太平洋でどこまでもいつまでも飛び続けることが出来る零戦は本当に素晴らしい。自分自身、空母に乗っているとき,まるで千里を走る名馬に乗っているような心強さを感じていた。しかしーーー」そこで宮部小隊長はちらちと周囲をみました。誰もいないのを確かめてからいいました。「今その類い稀なる能力が自分たちを苦しめている。五百六十里を飛んで、そこで戦い、また五百六十里を飛んで帰る。こんな恐ろしい作戦が立てられるのも,零戦にそれほどの能力があるからだ」
 小隊長の言いたいことがわかりました。
「八時間も飛べるひこうきは素晴らしいものだと思う。しかしそこにはそれを操る搭乗員のことが考えられていない。八時間もの間、搭乗員は一時も油断できない。我々は民間航空の操縦士ではない。いつ敵が襲いかかってくるかわからない戦場で八時間の飛行は体力の限界を超えている。自分たちは生身の人間だ。八時間も飛べる飛行機を作った人は、この飛行機に人間が乗ることを想定していたんだろうか」
 
 生きることを真剣に考え、いのちを惜しみ、かつ自分の部下たちにもいのちを粗末にするなと言い聞かせてきた宮部ならではの心境を語っているシーンである。
 この物語のこのシーンを「風立ちぬ」宮崎駿が読んでいたら、彼はあの映画をあのままにはしておかなかったのではないだろうか。あるいは作らなかったかもしれないと僕は思う。
 
 ところでこの物語を読んで感じたのは日本という国の成り立ち方で、国のトップ連中というのはいつでも責任を取らない体質にあるようだ。物語に登場する海軍の上層部でもいつも責任はとっていない。翻って政治責任そして先の東電の原発事故での責任問題でいったい誰がどう責任を取ったのだろうか。結局は大東亜戦争の敗戦の責任を誰もが取っていないのと同じだ。一番罪の重いのは日本の朝日を筆頭とす新聞社が無責任そのものだからだ。

 大きく言えば天皇の問題もそうなのだ。
 僕はこの日本人のアイデンティティーを担うのは天皇制だと思うのだが、その反面この心情が無責任さを生む温床であるといえると思えるのだ。
 
 百田尚樹氏はほんとうに素晴らしい作品を作ってくれたと思う。戦後六十年経たなければ生まれなかった作品かもしれない。
 
# by jinsei-detox | 2013-08-23 17:58 | 文化
 お墓参りに長岡に行ってきました。意外に向こうの暑さが湿気が少なかったせいかからりとしていて
 東京のようなうだる暑さではなかった。このところおふくろは足がとても悪いせいか料理をするのがとても
 億劫そうなので僕が台所に立つのだが、どうも自分で食べてもうまくはない。それとそんなこんなで主婦のしご とが多くなって友人たちと飲むこともままならない。まあ仕方がないと諦めて、この役目だと思ってやるが
 これが介護という意味で毎日と云うことになるとそれは大変なことだと思う。
 おふくろはまだ頭はしっかりしているので会話が成り立ち、僕がいろいろするのを恐縮しているのだ、
 それが自分の行動の思うようにならぬことが歯痒そうであるいは情けないという思いが辛そうだ。
 自分ではこんなに長生きをするとは思ってもいなかったといっているが、歳を取り体がいうことをきかなくなる
というのは本当に辛い物だ。ぼくもそう遠くはないいつか、そんなふうになるのだろう…
# by jinsei-detox | 2013-08-15 16:11 | 日常
 実は土曜日に息子2人と「風立ちぬ」をまた観に行ってしまった。息子たちの感想を聞いてみた。
 どうだった?
 面白かったよ。
 100点満点でいうと何点?
 80点かな?
 マイナス20点はどういうところ?
 ジブリのアニメを観に来たつもりなのにジブリらしくなかったところが不満だな。
 ふたりともそんな感想だった。
 なるほど……
 僕も2回目でようやくあの映画のすばらしさと疑問点が整理された。
 僕があの映画をもう一度観たいという気持ちになったのは、たぶん大正末期から昭和の初め頃に
流れている日本の人々の時間と風景に浸りたいという気持ちをあの映像は抱かせてくれたのだと思う。
 宮崎駿が描く自然の風景はアニメであればこそ味わえる表現なのだ。その時間は見ているだけで幸福にさせてくれたものだ。堀辰雄の小説をモデルにした男女の結びつきも当時のモラルや品格を彷彿とさせ、あの頃の恋愛の豊かさを羨むべきものとして享受された。もちろん一般大衆の男女でもそれなりの節度と恥じらいが文化の底にあればこそ豊かな結びつきとしてあったはずだ。ここの描かれ方にたいして僕は深く頷いたのだと思う。
 しかし2回目を観て、あるいは息子たちの反応を見ておやっと考え直すものが生まれたのも確かだ。
 つまり物語の主人公は零戦と設計した実在の人物である堀越次郎さんなのだ。彼は飛行機に憧れ、その道を実現するためにまっしぐらに生きてきた男として描かれている。
 問題はここなのかもしれない。彼は映画の中ではまったく葛藤しないのだ。ひたすら素晴らしい飛行機を作ろうと努力して、戦争と飛行機という相矛盾した制作物への葛藤もないし、恋愛した菜穂子さんが結核で死の淵にいようとも、仕事を辞めてその傍にいるという時間も頭にないほど葛藤の表現はないのである。
 たぶんそこがこの作品に違和感的なものを感じさせるのではないだろうか。まったくの架空の国のある飛行機好きの男が主人公であれば従来のジブリ特有の作品になっただろうけど、ここが日本の歴史をさかのぼらせる時代の男が主人公であれば、その時代的背景とかかわる言葉が生まれてきてもよおさそうなはずだ。そこが伝説的な飛行機を作った男の物語と単純におもしろがられない要素なのだろう。
 宮崎駿がどこかでその時代を生きた男を反戦的な表現をとるようにはできなかったといっているのを間接的に読んだことがあるが,確かに生な歴史を生きているときは時代にしっかりと包まれて生きているのであるから後世の人間が現在の価値観でとやかく言うことは出来ないというのは同意する。しかし、歴史上の実在を主人公にするのであれば何らかの形でその突きつける作品的な問題には対抗せざるを得ないのではなかったか。
 そうそこがジブリらしからぬ映画と感じたところの所以だったのだろう……
 息子たち曰。従来の作品は誰でもガわかるテーマをアニメをして、その具体性とその意表をついてデザイン性で圧倒的な説得力で物語ったのったが、「風立ちぬ」は誰しもが理解できる社会的コンテキストがないところでの物語だったのではというようなことを言っていた。なるほどね、そうかもしれないな。

 余談になるが映画のエンディングのユーミンの「ひこうき雲」の歌は映画にとても合っていて素敵なのだが
改めて歌詞を聴いていると誰の歌なのかわからない。僕はあの歌を聴きながら歌われている人はだれなのだろうと首をひねったものだが、あれはずいぶん昔作られた歌なんだってね。歌のテーマがあの作品のテーマとダブらないわけだよ。

 
# by jinsei-detox | 2013-08-11 12:16 | 文化
 ジブリの「風立ちぬ」を観てきた。忘れないうちにメモしておこう。むかし学生の頃「風立ちぬ」を読んだことがあり僕も人並みに軽井沢文学に憧れたことがある。そしてもう一つ0戦を設計した堀越次郎という人の伝記にふれたことがあった。この二つの話をイメージしてジブリの「風立ちぬ」は生まれたという。
 手抜きのない作画、役者「声優)への的確な注文、物を作るという工夫された技術、物語への信仰、やはり宮崎駿は凄い人だ。映画という表現への作法というものが完成されている。僕はスクリーンを観ながら魂をわしづかみにされたようにため息の連続だった。そしてユーミンの歌う「ひこうき雲」を耳にしたときはただひたすら泣かないように頑張るしかなかった。
 だけど僕がこんなに感動したのtに、世の中の人たちのなかにはこんな映画は極右のなんとかとかいって批判する人もいるんだね。ことに韓国の人々は歴史認識のない宮崎駿にがっかりしたとか。また上映阻止運動をおこすとか言っている。まあそんなことは今は予想通りの動きか…。それにしても僕は映画を観る幸福の時間のなかにいた。
 この幸福の時間はなんでなんだろうかと僕は考えたい。それは次回に。
# by jinsei-detox | 2013-08-07 12:30 | 文化